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ステンドグラス物語

呉教会会堂の正面にあるステンドグラスに光が射し込むと
白い壁にその瞬間しか見ることが出来ない揺れる温かな光の絵が描かれます。
やがて、その絵は、床へとキャンパスを広げていきます…。

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天地創造​ 「光あれ」

聖書 創世記1章1節・3節より

 神様は天地万物の創造に当たって、先ず混沌の世界に秩序を与えるために「光あれ」と言われました。

 光こそ混沌の不安に希望と平安を与えてくれるものです。神様の「光あれ」との宣言は、今も世界のあらゆる暗闇に響き渡っています。そこに私たちの希望があります。

​(ステンドグラス物語ーNO.1)

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空の鳥、野の花を見よ

聖書 マタイによる福音書6章34節

キリストが語られた言葉の中で、多くの人々に特に愛されている言葉です。神様の愛と守りは空の鳥や野の花にも溢れています。まして神様が私たち人間に、愛と守りをお与えにならない筈がないのです。神様の愛と守りを確信しましょう。

​(ステンドグラス物語ーNO.2)

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​主は私の羊飼い

​聖書 詩篇23篇1節

神様もイエス・キリストも、人生の真の導き手として羊飼いに譬え(たとえ)られています。羊は他の動物と違って食べることから寝るところまで、羊飼いの導きなしには生きていくことができません。イエス・キリストは真の羊飼いとなって、迷える羊である人間を天国に導くために、この世に人となって生まれてくださった真の救い主です。

​(ステンドグラス物語ーNO.3)

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​命の水と ぶどうの木

ヨハネによる福音書15章5節

私たちは生き生きと命に溢れ、実を結ぶ豊かな人生を歩みたいと願っています。イエス・キリストは「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ福音書15章5節)と言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ福音書14章6節)と宣言されたイエス・キリストを信じ、従っていく時、キリストは私たちを愛で育て愛の実を豊かに結ばせてくださいます。キリストはまた、生きて実を結ぶために必要な水について、「渇いている人はだれでも私のところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は聖書に書いてある通り、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ福音書7章37節、38節)と言われました。イエス・キリストに繋がる時、私たちは枯れることのない豊かな実を結ぶ人生を歩むことが出来るのです。ステンドグラスには、命の水の流れに根を下ろすぶどうの木に繋が

った枝が、豊かな実を結んでいる様子が描かれています。

​​(ステンドグラス物語ーNO.4)

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聖餐共同体

コリントの信徒への第一の手紙 11章26節


 イエス・キリストは神の御子の体に全人類の罪を一身に負い、身代わりの十字架に架かり、人類の罪を贖い、人類に救いの道を開いて下さいました。私たちはこのイエス・キリストの愛を決して忘れてはなりません。教会はイエス・キリストの十字架の贖いを信じる信仰共同体です。パウロは「あなたがたはこのパンを食べ、この杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(コリント第1、11章26節)と勧めています。ステンドグラスの麦はパン即ちキリストが十字架で裂かれた体、ぶどうはキリストが十字架で流された血潮を表しています。

(ステンドグラス物語ーNO.5) 

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​十字架

ヨハネによる福音書 3章16節


 聖書は神様の人類に対する愛を「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネ福音書3章16節)と言っています。神様は人類を永遠の罪の滅びから救うために、神様と一つ心で人類を愛された御子イエス・キリストを人の子として誕生させられました。キリストは全人類の罪をその身に引き受け、罪を贖うために身代わりとなって、十字架に架かられました。イエス様は私たち罪人の側に立ち罪を負うために、二人の犯罪人の間で十字架に架かられました。イエス・キリストの十字架は私たちの罪のためだったのです。

(ステンドグラス物語ーNO.6) 

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​​復活 昇天

マルコによる福音書 16章6節・19節

イエス・キリストは人類の罪を贖うために十字架に架かり死なれましたが、神様はイエス様を十字架の死から三日目に復活させられました。その朝、女性たちがイエス様を葬った墓にやって来ると、墓の入口の石は転がされていて、中に入ると天使が居て、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない御覧なさい。お納めした場所である」(マルコ福音書16章6節)と告げました。イエス・キリストは復活されると40日に亘って弟子たちの間に現れ、神の国について教えられました。人類の真の救い主としての使命を果たされたイエス様は「弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」(マルコ福音書16章19節)のでした。

ステンドグラスには空になった蓋の空いた墓、イエス・キリストの復活にまつわる白百合、その上に天に昇られるイエス様の衣がたなびく様子が描かれています。

(ステンドグラス物語ーNO.7)

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​永遠の同伴者

マタイによる福音書 28章20節

 イエス・キリストは人類の救いの業を完成し、天に帰られる時、弟子たちに「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」(マタイ福音書28章20節)と約束されました。ここで、天とは永遠の世界を意味しています。天に帰られたイエス・キリストは、人間の目に見ることはできませんが、聖霊を通していつも私たちと共にいて、愛を注ぎ、私たちの祈りを聞き、慰め励まし、助け導いてくださり、その守りは死を越えて永遠の天国に辿りつくまで何時も共にいて同伴者となってくださるのです。

 ステンドグラスの真中の白い衣を着た人がイエス様で、両側は私たちを表しています。

(ステンドグラス物語ーNO.8) 

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​聖霊降臨

使徒言行録 1章8節

イエス・キリストは人類の救いの業を完成し、天に帰られる時、「あなた方の上に聖霊が下るとあなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また地の果てに至るまでわたしの証人となる」(使徒言行録1章8節)と言われました。

聖霊は約束の通り、心を一つにして祈り求める弟子たちの中に降って来られ、弟子たちをイエス・キリストの福音宣教者として立たせ、キリストを力強く証しさせられました。ステンドグラスの鳩は「イエスは、神の霊が鳩のようにご自分の上に降ってくるのをご覧になった」(マタイ福音書3章16節)から聖霊は鳩で表されています。今日、地上にイエス・キリストの姿を見ることはできませんが、聖霊はイエス・キリストの霊となって、信じる者の心に生けるイエス・キリストとの交わりを与え、キリストを証しさせておられます。

(ステンドグラス物語ーNO.9)

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​​祈り

フィリピの信徒への手紙 4章6節

キリスト者にとって神様に親しく祈ることができることほど嬉しいことはありません。

  どんなことでも神様に打ち明けて祈る時、人知を越えた神様の平和が与えられて、全てのことは益に変えられ、全てを受け入れていけるようになるのです。

 

 

(ステンドグラス物語ーNO.10) 

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​天地創造 「安息 祝福」

創世記 2章3節

神様は創造の業を完成なさると、それらを祝福し、業から離れて休息されました。

 私たち被造物も神様の前に休息し、神様の祝福を受けることによって新しくされ、力をいただいて再出発することができるのです。

(ステンドグラス物語ーNO.11)

ステンドグラス作者
森 哲三氏
<プロフィール>
広島在住。
1971年 関西外国語大学卒業後、カナダに渡り

モントリオールの工房で主に教会の窓の制作と修復を修行。
カナダより帰国後、1984年モリステンドグラス工房を設立。
呉ナザレン教会のステンドグラス13枚は

1999年から2015年に亘り制作された森氏によるオリジナル作品です。
JUNE 1999 T.MORI
https://www.morisg.jp/

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