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 私は呉教会で受洗して37年が過ぎました。今も教会を通して生活できます恵みを感謝致します。月ごとに前の会社の労友会のメンバーに会報を配ります、10件あった配布先も現在6件になりました。お悔やみの会員欄に先輩の名前がありました。呉湾に浮かぶコンテナ船を見ると先輩に迷惑をかけたことを思い出します。
船を浸水する時にバラストタンクに海水を入れていきます、その時にバラストタンクを間違えてしまいました。海水が上甲板の上に溢れてしまいました。上甲板で塗装業者が作業できなくなりました、下請け業者はどうしてくれるのと言ってきました。上甲板上に海水がつくと塗装ができません、必死で上甲板を水洗いしエアブロウしたことを思い出します。
私は先輩に申し訳ない気持ちでした。「怪我をしなくて良かったね」と言って慰めてくれました。彼は一言も私を咎めませんでした、彼の優しさを今も思い出します。
彼はボランティアで高校野球の審判員をしていました。高校野球が始まると会社を休んで暑い日の中で球審をしていました。彼の生き方が眩しくみえました。イエス様は誰にも愛を持って接しなさいと言っておられます。私もそうなりたいと祈っています。


 1年前会社で同じ職場で働いていた若い同僚が交通事故で亡くなりました。
彼は新入社員として私の所で同じ仕事についていました。真面目な性格の彼のことを今でも思い出します。彼に仕事をさせていたところ暫くして私の所に失敗しましたと言ってきました。材料を溶接で不良品にしたり、電源ケーブルを短くカットしてしまったと言って来た彼に、度々呆れたことを思い出します。そんな彼の事を思い返せば可愛いくて仕方ありませんでした。
彼は肺に持病があり1年間休職していました。すこしずつ元気になり私と仕事が出来るようになり、冬の寒いとき彼の手を握り高圧配電盤の電線処理方法や配線表の作成を教えた事を思い出します。彼の手の温もりを今も思い出します。
再就職した私の勤務先に時々会いに来てくれました。彼は仕事のやり方を覚えて成長してくれていました。次の人に仕事が伝えられずに亡くなったことが残念に思います。黒瀬に家を購入し子供もでき楽しく過ごしていた矢先の事で本当に悔しく思います。
先に召された先輩、同僚を思う時 命の儚さを思います。共に過ごした日々が懐かしく出会いに感謝しています。私は75歳になりました後期高齢者です。もう少しで生涯を終える時がきますが、喜びを持って教会生活が出来ますようにと祈っています。
                                            (教会員70代)
                                                                                                                                                                     
                       

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 今年の2月16日の朝に、仕事場の市場に出勤して足元にひいてある鉄板に滑って大腿骨を骨折してしまいました。たくさんの人が回りにいたので恥ずかしくて、すぐ立ち上がろうとしましたが、全然その場から動くことができませんでした。少し、体を動かすだけで激痛が走りました。

救急車を呼んでもらい、共済病院へ行きました。この年になって情けない話ですが、痛みに耐えられず、ずっと大声を出していました。あんな痛みは今までの人生で初めての経験でした。

その日のうちに全身麻酔で人工股関節を入れる手術をしてもらいました。その後はただ、病院のベットの上で、上を向いたまま痛みに耐えるだけでした。食べ物も何も喉を通りませんでした。そんな状態のなか、手術の翌日からリハビリが始まりました。リハビリは本当につらかったです。

 でも教会の皆さんの祈りや励ましのメール、寄せ書きやお葉書、電話してくださるお声、励ましの動画、全てが感謝でした。

小学校3年生の時に、この呉ナザレン教会へ導かれて半世紀以上、いろんなことがありましたが、いつもイエス様が共にいてくださり、愛する兄弟姉妹が助け、祈り、愛していてくださること、心から感謝いたします。

 私の信仰の友であり、かけがいのない親友が突然倒れ、今死と戦っています。私が入院している時に「大丈夫?」とLINEをくれ祈ってくれました。今だに信じられません。病気やけがで苦しんでいる愛するお一人お一人の上に一日も早い神様の癒やしをお祈りいたします。

 最後に、入院中にある方がメールしてくださった御言葉を紹介させていただきます。

「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」

 (ヨハネの手紙Ⅰ 4:16)

                                                                                                                                                                        

                                      (教会員 60代)    

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「神はそのひとり子を賜ったほどにこの世を愛された。                                                   

  ひとり子を信じる者が一人も滅びず、永遠の命を得るためである。」           

                                          (ヨハネによる福音書3:16)                                                                                                        

父方の家は、浄土真宗ではありますが、祖母や母がクリスチャンだったこともあり、私は子どもの頃から教会に通う生活を送ってきました。

 小学校4年生の時、母から受洗を勧められましたが、当時神様のことも よく  分からないし、こんな私が受洗しても良いのかと子どもながら悩みました。             

受洗する2週間前、高知での子ども達を集めてのバイブルキャンプに参加し、今は亡き松田善行先生の祈りに励まされ、1980年8月17日に受洗しました。

ただ生活の中では受洗後、変わったわけではないので、妻にはよく 「あなたみたいな人クリスチャンらしくないよね」と、冗談で言われますが、祈りや、礼拝の説教を通して、み言葉が与えられ、今日まで教会生活を歩んで来られたこと、感謝しています。 2007年5月31日、父は長い闘病生活の末、天に召されました。 父は、毎週教会に通うことはありませんでしたが、母と私の良き理解者で、いつも家族を支えてくれました。

大人になって親である父を超えたい思いがどこかあり、素直になれず親孝行できずにいました。そのような中、父の死が近づいていることはとても辛く悲しい思いでいっぱいでした。

亡くなる1ヶ月前には人工呼吸器を装着、5月7日に父の死を覚悟するようにと医師から宣告を受けたと母から話がありました。                                 

その後、母から父の病床洗礼の許可をもらったと連絡があり、生前父は、自分が亡くなった後は、教会の墓へ入りたいと言っていたし、これで父も天のみ国に行けるんだと、悲しみの中にも光が差し込んだ思いでした。 

5月8日 松田基子先生から病床洗礼を受けることができ、教会の家族として加えられた事は感謝でした。                                                                               

2019年12月21日には、妻が受洗、毎日食事の前と、就寝前に祈ることしか出来ていませんが、クリスチャンとしての歩みを日々送っていることに感謝しています。                                                                                                 

私は大きな奇跡を体感したこともなく、証しとして、何も話すことができませんが、

皆さんの祈りに支えられ、家族で教会生活を送れていることを感謝しています。             

この先も色々な試練にぶつかると思いますが、我が国籍は天にありと、いつも神様を見上げ、

信仰の歩みを続けていきたいと思います。                                                                                                                                                                        

                                      (教会員 50代)    

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最初に呉ナザレン教会に家内と共に訪問したのが2001年春でした。家庭的な雰囲気の教会で、礼拝に出席し共に昼食をいただきました。義弟がこの教会で癒され御国に召されましたけれども、彼が家内と私を教会へ導きました。

 私にとって聖書は、初めて開く書籍でした。読んでいるうちに、納得することもありましたが、奇跡的な部分は、信じがたく思いました。それでも日曜日には教会に足を運びました。2002年に家内が受洗し、「日曜日は教会へ」の教会生活が日常となりました。同じ団地に藤井圭子先生がおられ、先生のすすめで松田基子牧師より2003年のクリスマスに受洗を許されました。受洗の動機は、多くの方が感動と共に洗礼をされたのとは違い自然のまま、なりゆきで受けたと思います。もともと私自身思慮深くありませんし、生きてきた人生に大きな挫折や大病もしておりませんので、受洗してから神様のみことばを受け入れればよいと思ったからです。今、思いますと罪深いことだったと思います。

 それから日曜日は教会へとの教会生活が続きました。2004年3月に退職し、少しのアルバイトと畑仕事をし、スローフード、スローライフの生活を楽しんでおりました。「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい」テサロニケの信徒の手紙1 5章16~18節 このみことばに従い、感謝し、祈りをささげることが神様と繋がっているのだと実感します。日々の生活では、神様を忘れることが多く、どうしても人間生活をすることが多くあります。日曜日に聖日礼拝を守り悔い改めるという程度ですが、続けることに意味があると思っています。これからも礼拝を通し信仰を深め、信徒の交わりを深めていきたいと思っています。

 最近、身体の部分部分に衰えが現われてきましたし、3年前から畑には家内が行かなくなり私一人で作業をしています。畑までの片道30分の運転に時々不安と寂しさを感じることがあります。そんな時、いつも思うのはイエス・キリストはいつも私と共に歩んで下さっているということです。いつもそばにいて導いてくださっているので、不安や寂しさは忘れることができます。

「明日のことまで思い悩むな 明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイによる福音書6章34節) 

これからも日曜日は教会への、教会生活を続けていきます。

                                           (教会員 70代)    

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​豊かな人生の条件   

中学3年のクリスマスに受洗しました。

子供の頃は、焼山の土曜学校で聖書のお話を聞き、子ども賛美歌を歌い、暗唱聖句を覚えたり、何もない集会室で奏楽もありませんでしたが松田牧師の歌声にリードされ、いつも楽しく賛美歌を歌っていたことを思い出します。その当時の先生は松田基子牧師とEさんと母でした。母は、私が赤ちゃんの時、呉教会へ行き始めたそうです。母が信仰を持ち父が信仰を持ち現在まで呉教会と共に人生を歩んでいます。

改めて今振り返ると、キリストに出会い人生が180度変えられたという劇的な感覚はありませんが、イエス様が救い主であると告白できる環境だったことに感謝しています。

 2年前母が病気を告げられました。病気は、パソコンで調べるとおおよそ発病後治療を受けたとしても余命4カ月であることが書かれていました。もちろん数%の人ですが10年以上生存されている人もおられることも書かれていました。担当の医師から治療の説明を受けると共に「今のうちにお母さんの好きなことをさせてあげて下さい」と伝えられました。父と私は覚悟をしつつ母の治療を受けていました。

発病後すぐに松田牧師に伝え「母の全き癒し」を祈っていただきました。教会でも、礼拝で、祈祷会で、家庭でと皆さまに母の癒しを祈っていただきました。祈りにより、希望と平安と力が与えられました。祈りの力を実感しました。本当にありがとうございました。

病気はステージ3a(2より)ということでしたが、治療も順調に進み、今治療と共に半年ごとに転移の確認のため検査を受けていますが、今のところ転移もなく母は元気に日々を過ごしています。

病気とは別に年齢を重ねることによって失われていく機能もいくつかあります。その中で母は以前よりも穏やかになっているように思います。母は「父がより優しくなった、よく手伝ってくれこんなに色々と尽くしてくれるとは思わなかった」と言っています。お互いが支え合い日々を過ごしています。

松田牧師が「自分が見ている人に似てくる」と言われました。母は、ただ神様を今見ており「何の取り柄もない私を愛してくださる」と神様への感謝であふれています。

神様に出会えたこと、松田牧師と出会えたこと、呉教会の方々との良き交わりが出来たことをとても感謝しています。

「いつも喜んでいなさい。絶えずいのりなさい。全ての事に感謝しなさい」テサロニケⅡ.5-16

私は今、神様に従う人生の豊かさを両親を通して教えられています。神様と共に歩んできた両親と共に穏やかな日常がまだもう少し与えて下さっていることに感謝しています。

「豊かな人生の条件」(ともよ歌おう)より

豊かな人生の条件は聖書の中に 歴史の始まる以前から掲示されています

真の神を敬い罪を悔い改め 真心尽くしてキリストに従うことです

                                           (教会員 50代)    

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​​信仰の喜び

80 歳を迎えた時、病気がわかりました。血管肉腫と診断されました。
それほどショックではなく、病気は自分の力ではどうにもできないことなので全てを神様に委ねるしかないという思いでした。
治療はすぐ始まり、毎日30 日間放射線治療に通院しました。症例の少ない病気でお医者様方の必死な取り組みに従い、通院中はたんたんと治療を受けました。
不安はなく、日々の教会の皆様のお祈りに支えられました。実際に日々祈られていることを聞き、その後次第に心が晴れていくことを感じました。
放射線治療の最後の日「ここでの治療は今日で終わりです。再びここでの治療はありません。ここに来てはいけません。」と背中を押し出されました。病院のスタッフの方々の優しさ誠意に心を打たれました。
もういつ死を迎えてもいいという神様による平安の中にありました。年齢的にもこの世のことでやり残したこともなく、神様と共に歩んできた人生に感謝でいっぱいです。呉教会の皆様、そして松田牧師との出会いと共に歩んで来た信仰生活に感謝しています。
現在、ガンの転移がない状態ですが抗がん剤の治療を継続中です。
日々神様に全てを委ね一日を穏やかに過ごしています。ただそのことに心が満たされています。

全ての人に感謝しています。祈りの中で神様に愛されている身であることの平安に包まれています。 

                                          (教会員・80代)

                                           

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